こんにちはRIEZOです。
約1名「RIEZOさんの映画ブログが読みたい!」っていうから新山くんのためだけに久しぶりに書いてます。責任持ってちゃんと布教してね!
まあ、私個人は映画評論家は町山智浩氏以外は全滅してもいいと思ってるのですが。
皆さん映画に詳しくなりたかったら町山智浩って検索してね!!
ちなみに私は根がクソみたいに根暗なオタクなので映画ブログだと暗めの仕上がりになるので
いつものポップな下ネタを求めてる方はこの辺でやめといた方が良いですよ。
というわけでボヘミアン・ラプソディーを2回観に行って2回ともきっちり号泣しました。
(これから観に行く方へ。
史実とは違うらしいですが、映画としての完成度が非常に高いので「そういう映画」として観てみて下さい。)
まず、主演俳優の演技がめちゃくちゃ上手いです。
フレディ・マーキュリーってゲイだゲイだえらいこっちゃと言われてるけど、心は奥さんのナタリーを本当に求めてて、でも肉体的な性欲は男性を求めてて、そんな自分のアイデンティティに引き裂かれてたみたいですね。
そんな絶妙なセクシャリティをきっちり表現してます。
初めて男性に不意にキスされた後のとまどい、伏せ目…少女かよ!!オッサンの少女かよ!!
っていう。少女のような潔癖さを感じる顔するんだよー。
とにかく映画の中で何度も何度も傷ついた表情をするんですけど、その度に抱きしめてあげたくなっちゃうの。
異常に出っ歯を強調した特殊メイクをしているにも関わらず、か、可愛い!!ってなるの。
どっこいライブシーンは最高に男性的なんですね。パワフルマーキュリーなんです。
まーとにかく魅力的で大喝采なのですが、フレディ自身はずっと満たされない。
たったひとつの愛が欲しいだけなのに、それを満たしてくれる相手をずっとずっと求めて、自暴自棄になっちゃうんです。
その結果「ママ人を殺しちゃったよ」ってボヘミアン・ラプソディーの歌詞にあるんですが。
これはインド系の自分の出自が嫌で、戸籍も名前も変えた自分、放蕩の末に不治の病にかかって自分を殺してしまう、フレディの自分自身の歌なんですね。
グレイテスト・ショーマンのジェニー・リンドもボヘミアン・ラプソディーのフレディ・マーキュリーも。
万雷の拍手の海ですら孤独を癒せない、満たされないという、天才たちの絶望が胸を打つのよね。
ブラック・スワンのニナもそうだね。
このパターンのキャラクターは、大体親子関係がうまくいってないんだよね。
片親だったり婚外子だったり。
私自身が母子家庭ですが、だからこそどこか満たされないでいる自分と共感するのかもしれない。
いつだって本当に愛するものだけがたやすく心を粉々にするから、皮肉だよね。
孤独や渇きは素晴らしい作品を生むけど、それを産み出すために自分の生活や愛情は犠牲にされていて。
だから太宰治や芥川龍之介やフレディ・マーキュリーにヒトは引き寄せられるのかな。
孤独や絶望を養分にすると最高の作品が産まれるんだよね。
まあ、だからこのブログで言いたかったことは結局は
リア充爆発しろ!!
ってことになっちゃいました。
フレディ以外にも、ブライアン・メイは、よく見つけてきたなってくらい似てるし、ライブエイドの時にフレディを見る、「お前やっぱすげーや!」って表情とか見所たくさんあるから。
RIEZOでした。